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■第三回 スリランカ(6)「茶の歴史」
10月23日、イギリス植民地時代の面影を残す避暑地ヌーワラ・エーリアに向かう。キャンディからバスで約3時間の行程、海抜2000mの高原に街がある。
1500m位から茶畑が広がり、耕して天に上る段々畑は山麓から山頂に至る。
スリランカの茶栽培は、19世紀末に原生林を切り開いたイギリス人の大農園に端を発するもので、当初低地から始まり次第に高地まで広がった。現在の茶栽培面積は約24万ha、生産量は1971年の約22万tをピークに減少傾向にある。
チャ(Camellia sinensis)は中国南部が原生地で、雲南には樹齢1000年を越え、高さ10m以上のものが何本もあるといわれている。中国伝説中の帝王「神農」は薬の神、農業の神、火の神、易の神として祭られているが、一日に何種類かの植物を噛み分け、薬になる物を選別して、夕方になるとチャの葉を噛んで草の毒を消したといわれている。チャは薬草の元祖のようなもので、ミャンマー北部のカチン族は、頭痛がするとチャの葉を食べ、切り傷に葉を当てて治療するといい、現代でも口臭除去、消化不良、便秘、鎮静などの効果が喫茶を習慣づけている。
日本では真言宗の開祖空海(774−835年)が入唐して恵果に学び、806年(大同1年)帰朝した時にチャの種子を持ち帰ったのが初めとされているが、これは栽培に失敗し育たなかった。鎌倉時代になり、臨済宗の開祖、栄西(1114−1215年)が二度にわたり入宋し、著『喫茶養生記』の中に宋からチャの種子を持ち帰り、博多の聖福寺にて栽培に成功したことが記されている。その後京都宇治付近、静岡県川根付近などに、栄西の弟子達によって移植されたのである。以後高価な飲み物として特権階級の人々に飲まれてきた。(終) |
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